3月11日から、もう1週間
3月11日の地震発生から1週間が経った昨日。
16時34分にやっと母親と直接電話ができました。
聞けば実家周辺ではSoftbankのケータイはまだ繋がらず、山の上の給水所まで来ると繋がるのだそう。なので今のところは連絡が来るのを待つしかない状況。
何とももどかしいけど、まずは無事でいてくれたことに感謝です。
ライフラインが未だ復旧していない現地は最低気温が氷点下、雪が降ってる、そんな状況で暖も取れないでいる、暖かい食事も出来ずにいるし、まだまだ余震も続いている。東京にいる身からすると「どんだけよっ!」と不安になるばかり。
ところが母君。なかなかのサバイバル能力を発揮してました。
たまたま地震の前日にカセットコンロを買ってあって、そのコンロでおかゆを作って食べてたんだそうです。卵も入れて。冬場は天然冷蔵庫になる東北なので冷蔵庫の食料もそれほど痛まずに済んだのだそう。我が母ながらスゴイ…。
とはいえ、天然冷蔵庫な環境で暖房がないからそりゃあもう寒い。今は気が張ってるから平気だろうけど、安心したときにドッとリバウンドが来そうで心配。
早く安心して眠れる環境にしてあげたい。
実家から徒歩10分くらいの石巻小学校やその近くの中央公民館が避難所になってるのでそこに移ってみたら? と聞いてみたけど、強盗・略奪が横行してるので家から出られないとのこと。天災の後の問題はやっぱり人災か…。
気がかりは山積みだけど、すぐに駆けつけることが出来ないのでもどかしい。
実家の周りの市街地にも自衛隊が来ているということなので、せめて抑止力になってくれと祈るばかりです。
ところで今回の震災・津波では旧来のマスメディアの使えなさっぷりをほとほと実感しました。不安を煽るような抽象的な報道ばかりで、テレビに映っている避難所がどこなのか、そこには誰がいるのか、地図に照らしてどこまで救助が入っているのか、という被災者とその家族が知りたい情報はほとんど得られませんでした。ほとんどというか皆無と言ってもいいくらい。
テレビ・新聞に代わって、すごく役立って、そして支えてもらったのがインターネット、ぼくの場合はとりわけTwitterでした。
実際に面識のある人たちからの励ましと、面識はないけど同郷の同じ境遇に陥った人たちとの情報交換・コミュニケーションがあって、何とか不安に陥らなくて済んだと思ってます。マスメディアにだけ接してたら絶望しか持てなかった。
今日もネットのおかげでマスメディアでは見られなかった、地元の生の映像を見ることができました。
実家の近所まで映ってます。思った以上にヒドい状況だけど、現実を知ることができてとても感謝しています。知らないと不安ばかり広がるもの。
予断を許さない状況とはいえ、ぼくは母親と友人の無事を確認できました。
けど、まだ安否不明な人が大勢いる。不安になってる人が大勢いる。
ぼくがネットと、ネットを通じたコミュニケーションに支えてもらったように、いくらかでも誰かの役に立つことで恩返しをしたい。そうした思いを持った人が増えていって欲しい。
旧来のマスメディアとインターネット。道具としてどちらが優れてる・劣ってるということではなくて、たぶんその道具を使う人たちの意識が違ってきてるんでしょうね。きっと、こうした契機があって世の中は変わっていくんだろなぁ。
まずは被害に遭われた人たちが安心して眠れる日が一日も早く訪れますように。
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